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馬 良(ば りょう)は中華民国の軍人。初め北京政府安徽派、後に中華民国臨時政府、南京国民政府に属した。回族。字は子貞。 なお、清末から民国時代にかけて活動した教育家・学者・政治家で、復旦公学(後の復旦大学)初代校長の馬良(馬相伯)とは別人である。 == 事跡 == 北洋武備学堂を卒業。1911年(宣統3年)には北洋第5鎮第9協協統に昇進している。中華民国成立に伴う軍改組後も、そのまま第5師第9旅旅長に留まった。以後、山東第47混成旅旅長、済南鎮守使を歴任している。 1916年(民国5年)6月の袁世凱死後は、段祺瑞率いる安徽派に所属した。1918年(民国7年)、参戦軍第2師師長、辺防軍第2師師長を歴任した。しかし、1920年(民国9年)7月の安直戦争で失脚した。1925年(民国14年)に北京政府軍事顧問となる。また、1933年(民国22年)に国民政府の軍事参議院参議となったものの、概して不遇であった。 1937年(民国26年)の日中戦争勃発後、華北が日本軍の手に落ちるとともに、馬良は済南維持会会長として、日本に協力した。1938年(民国27年)4月、中華民国臨時政府の下で署理山東省省長となる。翌年1月に唐仰杜に譲るまでその地位にあった〔『民国職官年表』1125頁は、1940年3月まで馬良が省長の地位に在ったとしているが、本記事は、「山東省情網」内「山東省省情資料庫」に従う。〕。 汪兆銘(汪精衛)が1940年(民国29年)3月に南京国民政府を樹立すると、華北政務委員会委員に任命された。また、国術教会を組織して自ら会長となる。自らの邸宅に数十名の居候の武術家を置き、道場を設けて後輩の指導にあたっている。 1945年(民国34年)8月の日本敗北後、馬良は漢奸として国民政府に捕えられる。1947年(民国36年)、山東省済南市で獄死した。享年73。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「馬良 (安徽派)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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